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アメリカの国章ができるまで(アメリカ高校留学)

昨日に引き続き、アメリカの国章ができるまでの経緯を見てみましょう。

ウィリアム・バートンの貢献

1782年6月中旬、国章のデザインの責任は、議会の書記であるチャールズ・トムソンに任されました。トムソンは、アイルランド出身のアメリカ独立期のフィラデルフィアのパトリオットのリーダーでした。

トムソンは、紋章学の知識で定評のあるペンシルベニア州の弁護士ウィリアム・バートンに国章の相談しました。ウィリアムは「アメリカの武装達成のための装置」を起草し紋章を付けました。そして、第3委員会によって提出されたデザインを基にワシをより目立たせました。 古代から、ワシは強さのしるしと見なされてきました

白頭ワシ・アイコンの誕生

トムソンは、1782年5月、翼が強調された国章を紹介しました。国章の裏側の新しいデザインには、13段のピラミッドの上にプロビデンスの目が組み込まれていました。そして、トムソンは小さな白いワシをアメリカの白頭ワシに置き換えることを推奨し、議会は1782年6月20日にこのデザインを採用しました。このデザインが公式文書、通貨、旗、公共の建物、その他の政府関連のアイテムに表示されるようになりました。白頭ワシはアメリカのアイコンになりました。

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引用:https://www.history.com/news/how-did-the-bald-eagle-become-americas-national-bird

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