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カーネルサンダース、65歳にして成功(アメリカ高校留学)

ケンタッキーフライドチキン(KFC)の創設者であるハーランド・サンダース大佐(Colonel Harland Sanders)の波乱万丈の人生を見てみましょう。彼が成功したのは65歳ごろです。それまでは度重なる失敗の連続でした。彼を見習い、何事もあきらめず挑戦し続けましょう!Never give up!!!

カーネルは名前じゃないの?

KFCの創業者はカーネル・サンダースと思っている方もいるかもしれませんが、実は「カーネル」(Colonel)は名前でも、軍の階級(大佐)でもありません。ケンタッキー州に貢献した人に与えられる「ケンタッキー・カーネル」という名誉称号(名誉大佐)です。

年齢を偽ってアメリカ陸軍に入隊

サンダースは1890年にインディアナ州ヘンリービルで生まれました。6歳のとき父が亡くなり、兄弟の世話に追われるようになります。中学校1年で中退せざるを得なかった彼は、家を出て農夫として働きました。

16歳のとき、彼は自分の年齢を偽ってに入隊しました。1年後に名誉除隊した彼は労働者として鉄道に雇われます。しかし、同僚とけんかし解雇されてしまいます。鉄道で働いている間、彼は法律を勉強していました。でもそれも別の諍いによって、法的なキャリアは台無しになってしまうのです。

サンダースは母親と一緒に地元に戻って生命保険を売る仕事に就くことを余儀なくされました。次に何が起きたでしょう。彼は不服従でまた解雇されたのです。しかし、この男はあきらめませんでした!

何度も失敗&チャレンジ

1920年には、彼はフェリーボートの会社を設立しました。その後、フェリーボート事業を売ってランプ製造会社を設立しようとしましたが、別の会社がもっと良いランプをすでに販売していることがわかりました。サンダースには休む間もありませんでした。

彼がサービスステーションで鶏肉料理を販売し始めたのは40歳の時でした。彼が料理の宣伝を始めると、競合店との争いが勃発しました。結局4年後に、彼はレストランとともに焼け落ちたモーテルの跡地を購入し、新たにモーテルを建設して、第二次世界大戦の影響で閉鎖されるまで営業し続けたのです。

ケンタッキーフライドチキン(KFC)の誕生

戦争の後、彼は自分のレストランをフランチャイズにしようとしました。彼のレシピは、受け入れられるまでに1,009回拒否されましたが、サンダースの「秘密のレシピ」は「ケンタッキーフライドチキン(KFC)」という造語でヒットするようになったのです。ところが、州間高速道路が近くを通り過ぎるようになったためレストランが流行らなくなり、その結果、サンダースはレストランを売却し、KFCフランチャイズを広め、KFCスタッフを全国で雇用するという夢を追求することに集中するようになりました。

KFC大ヒット

何年にもわたる失敗と不運を乗り越え、サンダースはついにKFCを大ヒットさせました。 KFCは国際的に拡大し、彼は会社を200万ドル(現在の約1530万ドル)で売却しました。今日においても、サンダースはKFCのブランディングの中心であり、ロゴには彼の顔がデザインされています。彼のヤギひげ、白いスーツ、ウエスタンストリングタイは、世界中でおいしいカントリーフライドチキンのシンボルとなっています。

65歳を超えてからの成功

サンダースが成功したのは65歳を超えてからです。それまで数多くの失敗を繰り返してきましたが、決してあきらませんでした。当時、世界48か国で約6,000店のKFCがありましたが、2013年には、世界118か国で推定18,000店にまで増えています。すごい数ですね。

拒否されてくじけそうになったり、挫折して落ち込んだりしたら、カーネル・ハーランド・サンダースの話を思い出してください。多くの仕事を解雇され、法的キャリアを台無しにし、大恐慌、火事、第二次世界大戦によって彼の人生は後退し続けましたが、それでも世界的なファーストフードチェーンの1つを作り上げました。サンダースは、1980年、90歳で肺炎により亡くなりました。

サンダースは何事にも、何者にも負けませんでした。私たちは皆、カーネル・サンダースの生き方を見習うべきなのではないでしょうか

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