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アメリカの歴史、後期(アメリカ高校留学)

みなさん、こんにちは。

引き続き、アメリカの歴史についてご説明します。

奴隷制度

1619年当時、米国移住への旅費を支払える入植者は少なかったので、船長が、契約奉公人と呼ばれる貧しい移住者の労働契約を売って多額の報酬を得ることもありました。そして、船にできるだけ多くの移住者を乗せるために、法外な約束から実際の誘拐まで、あらゆる手段が使わました。

アフリカの黒人の多くは、いずれ自由を得ることのできる年季奉公人と見なされていました。しかし、南部の植民地の大農園で働く労働者の需要が増えるに伴い、1660年代までに、彼らを取り囲む奴隷制度に、徐々に固く縛られるようになりました。アフリカ人は、一生強制労働をさせられるために、手かせ足かせをはめられて米国に連れて来られるようになったのです。

メイフラワー誓約書

1620年、ライデン市の清教徒の一団が、バージニア会社から土地特許状を確保しました。

総勢101人の清教徒たちは、メイフラワー号でバージニアへ向けて出航しましたが、嵐のため、はるか北へ流され、ニューイングランドのケープコッドに上陸しました。

彼らは、自分たちで選んだ指導者によって起草された「公正かつ平等な法」に従うことを定めた正式な協定を起草しました。これが「メイフラワー誓約書」です。

独立記念日 7月4日

1700年代半ばまでには、大英帝国の「新世界」の一部であった13の植民地は英国の国王が定めた法律や制約に縛られることに焦燥を感じていました。英国の税金を課されることに不満を抱いていたのです。

1775年4月19日、英国軍がマサチューセッツ州の民兵軍を襲撃しようとしたことから、独立戦争が始まりました。

入植者たちは直ちに戦闘部隊を組織し、英国軍に対抗し、1775年5月には第2回大陸会議が開かれ、バージニア州の代議員ジョージ・ワシントンが大陸軍の総司令官に選出されたのです。

ワシントンは、独立戦争中を通じてアメリカ軍を率い、英軍に対抗し、入植者たちは8年間にわたり独立を求めて必死に戦いました。彼らは英軍に比べて訓練や装備の面では劣っていましたが、目的意識の下に統一されていたこと、慣れた土地で戦っていたこと、そして先住民から学んだ新しい戦術を使い、対抗したのです。

その後、独立宣言は、1776年7月4日にペンシルベニア州フィラデルフィアに於いて、署名されました。

独立記念日の祝い方

毎年7月4日は、アメリカ独立記念日の祝日です。

仕事や学校を休み、地域の人たちや家族と共に1日中ピクニックを楽しみ、ホットドッグ、ハンバーガー、ポテトサラダ、ベークドビーンズ、パイ、スイカなどを食べて祝います。

「建国の父」や初期の入植者に扮した人たちが、高校の楽団の演奏でパレードをする町もあり、夕暮れには、市が主催する花火大会に人々が集まります。


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