みなさん、こんにちは。
1848年のカリフォルニアの近郊発見から始まったアメリカ人口の西方大移動、Gold rush (ゴールドラッシュ)についてお話します。
金鉱の発見
1848年1月、カリフォルニアのサクラメントの開拓拠点の一つであったサッター砦から、製材所のあったコロマに派遣されていたジェームズ・マーシャルは、朝食前の散歩に出かけ、近くの水路の中に輝くものを見つけました。拾いあげてみるとエンドウ豆を半分にしたような金の塊でした。
金の発見についての記事は、サンフランシスコの新聞「The Californian(ザ・カリフォルニア)」に1848年3月15日付けで報道されました。 当初は高価な金属が地中から出てきたということに疑いを持たれ、そのニュースは信じられていませんでした。
ゴールドラッシュ
米国内外から人々が富をつかむためにカリフォルニアへやって来ました。 できる限り早くたどり着きたいという熱望で 自分の資産を抵当に入れて借金をしたり、コツコツ貯めた貯金をつぎ込んだりしてカリフォルニアまでの旅に出たのです。 しかし、幸運を手に入れたのはひと握りの人のみでした。
これが「ゴールド=ラッシュ」の始まりとなりました。カリフォルニア金鉱の金はまもなく取り尽くされ、現在は廃墟が残っているだけです。
東部からの3つのルート
人々は以下の3つのルートを経由してカルフォルニアまで旅をしました。長旅ですね~(‘Д’)
① 船で中央アメリカへ渡り、陸路パナマ地峡を横断し太平洋側へ抜け、別の船でサンフランシスコへ(当時で3〜5ヶ月)。
② 船で南米のホーン岬を回りサンフランシスコへ(当時で5〜8ヶ月)。
③ 米国内やメキシコからは、平野を横切り陸路で西方向へ(当時で3〜4ヶ月)。
カリフォルニアの人口増加
カリフォルニア金鉱発見の翌年、1849年の1年間だけで約10万もの人が移住してきました(‘Д’)この人々を「49年度の人たち」(フォーティーナイナーズ)といいます。
何千もの「探鉱者」が到着したことで、カリフォルニアは加速度的に発展し、1850年には、アメリカ合衆国31番目の州として迎え入れられました。そして1860年には、人口が36万以上になりました。
白人の西部への移住は、現地のインディアンを圧迫し、その土地を奪うことになりました。また、金山やその後に発見された銀山での労働力は、中国からの移民である苦力(クーリー)に大きく依存するようになりました。
金の発掘方法
人々は、川や小川の中で沈殿物の入った長方形の箱を前後に揺らし、水の流れが軽いものをさらっていくのを利用したパニングという方法で、金を探しました。
後になると、高水圧ホースで丘の斜面からも金を含む土砂を流すようになりました。 最終的にはより大きな河川での浚渫が行われ、金の鉱石を掘るための地下抗も作られました。
カリフォルニアの金採鉱は1852年にピークを迎え、その後徐々に衰退していきました。
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