昨日に引き続き、ロバート・エドワード・リー将軍(Robert E. Lee)、そして南部連合について見てみましょう。
南軍からの反発
リー将軍が南軍の指揮を執った最初の年、ウェストバージニア州と南大西洋岸に沿った戦いでは、彼が攻撃性に欠けているという印象がありました。
1862年3月初旬、リー将軍は南軍の主要な軍事顧問になりました。バージニア州で拡大していた連邦政府の警戒していました。特に恐れていたのは、ジョージB.マクレラン率いるの10万人のポトマック軍(※)でした。ついには、5月末までに反乱軍の首都から数マイル以内に押しやられました。 そして、5月31日、ジョセフE.ジョンストンは、セブンパインズの戦い(Battle of Seven Pines)の戦いで負傷し、リッチモンドを守る陸軍幕僚長の任務をリー将軍に委ねました。しかし、南軍からはリー将軍の力量に疑問を投げかける軍人おり、反発も出ていました。
(※)ポトマック軍(Army of the Potomac)は、南北戦争の東部戦線における北軍の主力となった「軍」。
七日間の戦い/Seven Days Battlesでの成功
その後、リーは南軍の主導権を握ろうと積極的に軍活動をしました。 北軍の少将ジョージ・ブリントン・マクレラン(George Brinton McClellan)とは、6月25日から7月1日までの七日間の戦い(Seven Days Battles)を繰り広げ、南軍は北軍を繰り返し攻撃し、北軍をリッチモンドから遠ざけることに成功しました。リー将軍の軍隊は20,000人以上の犠牲者を出しましたが、このSeven Days Battlesは南軍全体の精神を高め、リーの評判を大幅に高めました。
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