There’s no accounting for tastes.は、直訳すると「好みには説明がつかない」となります。
このことわざは、文字通りに人の好みや趣味嗜好は論理や理由で説明できるものではなく、人それぞれで多様である、という意味で使われます。
no accounting forは「~を説明できない、~の理由を説明できない」という意味です。
他人の好みが理解できなくても、それは当然のこと。
なぜその人がそれを好きなのか、納得がいかなくても、それは個人の自由であり、尊重すべきである。
好みについてあれこれ論じても無意味である。
例えば、誰かが「こんなに味が薄い料理が美味しいなんて信じられない!」と言った時、それに対して「Well, there’s no accounting for tastes.」と返すことで、「まあ、人の好みはそれぞれだからね」という諦めや、ある種の寛容さを示すことができます。
これに最も近い日本語のことわざは「蓼(たで)食う虫も好き好き」です。蓼という植物は非常に苦いことで知られていますが、それを好んで食べる虫もいるように、人の好みは様々で、他人には理解しがたいものもある、という意味です。
人の好みを論じたり、批判したりすることの無益さを指摘する時
少し呆れたり、皮肉を込めて、でも最終的には相手の好みを認めるようなニュアンスで
このフレーズを使うことで、相手の好みを直接的に否定するのではなく、「そういう見方もあるんだね」「私には理解できないけれど、あなたにとっては良いんだね」といった、ある種の距離を置いた理解を示すことができます。
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